2 (唐突な引用から)


 理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。(村上春樹『スプートニクの恋人』)


 感情がある。あるいは、それはあまりにも主観的であるがゆえに、言葉では表せないため、「感情」と呼ぶことさえもはばかられるもの。強いて言うなら〝なにか〟。この〝なにか〟は人それぞれあまりにも異なっているため、他者の〝なにか〟を理解する(理解し尽くす)ことは決してできない。自己の〝なにか〟が理解される(理解され尽くす)ことも決してできない。〝なにか〟とは、純度一〇〇パーセントの主観の塊である。
 自己が抱えているこの〝なにか〟を、他者に理解してもらいたいという強い欲求がある。これは誰にでもある。しかし、〝なにか〟はあまりにも主観的であるために、客観的な形にそれを落とし込まなければならない。自己と他者が分かり合う(分かり合ったつもりになる)ためには、必ず客観的な表現を用いなくてはならない。そこで例えば僕たちは言葉を使う。(もちろん言葉以外の客観的なものを使うこともある。行為であったり仕草であったり、音楽や絵画であったりする。しかしここでは言葉に限定して書くことにする。)「悲しい」という言葉が私の頭に浮かぶとき、私自身はそれを理解する。「悲しい」という言葉を私が喋るとき、他人はそれを理解する。このとき、他者に自己を理解してもらいたいという欲求は満たされる。
 しかし、客観的なもので表現される〝なにか〟は、決して〝なにか〟そのものではない。客観的なもので表現される〝なにか〟を理解されたとしても、自己の抱える主観の塊〝なにか〟を理解されたことにはならない。だから〝なにか〟を他者に理解してもらいたいという欲求が完全に満たされることはない。私が抱えているのは依然として〝なにか〟であって、「悲しい」ではないのである。
 しかしまだできることはある。完全に理解されることはできないとしても、より理解される(あるいは誤解を小さくする)努力はできる。
 そこで単に「悲しい」と表現するだけではなく、どう悲しいか? あるいは、本当に「悲しい」という言葉が〝なにか〟を表現するにあたって適切なのか? 改めて検討し、表現を模索する。「悲しい」という言葉が客観的な表現であり過ぎるために、〝なにか〟とあまりにもかけ離れてしまっているため、より主観的な要素を保つ表現を模索する。たくさん本を読んだり人と話をしたりして、より〝なにか〟を表現するのにふさわしい語彙や文体、言い回しを手に入れる。言葉をいろいろ繋ぎ合わせたり、切り離して並び替えたりする。これが思考である。
 こうして表現は複雑になるし、もしかしたら比喩も使われるだろう。あるいは難解な語彙を採用するかもしれない。小説や詩という形をとるかもしれない。しかしこれは、より〝なにか〟に近い主観的な表現である。これが他者に理解されるとき、単に「悲しい」を理解されるよりも、自己を理解されたい(自己が抱える〝なにか〟を理解されたい)という欲求は満たされるだろう。
 そして実際に私自身はそれを理解する。しかし理解してくれる他人は、「悲しい」を理解してくれる他人よりも少なくなるはずだ。なぜならそれは主観的な表現だからだ。複雑、あるいは比喩的、または難解であるからだ。
 僕たちはこのより主観的な表現を理解してくれる他人を探している。自己の抱える〝なにか〟と近しい〝なにか〟を持っている他人を探している。誤解の総体が理解であるならば、より小さいパーツ(誤解)を、よりたくさん用いて自己を理解してくれる他人を探している。自己の〝なにか〟を理解してもらうために苦労してひねり出した表現(それが言葉であれ行為であれ、作品であれなんであれ。もっとも、この文章では言葉だけに焦点を絞って書いたのだけれど)を、理解できない他人が次々と去っていくときに、最後に残る人たちを親友や恋人として迎い入れ、孤独を分かち合うのだと思う。


──2/23、追加。
 一時期、この自己の抱える〝なにか〟のことを、「凝縮したエネルギー」と自分で名付けていました。エネルギーはあるのに言語化できない、表現できない。もどかしくて寂しい。自分の中にある混沌とした〝なにか〟を、自分からも他人からも見えるように物化して家に飾っておけたらいいのに、とか思っていました(今も思っていますが)。これが小沢健二の「ある光」「無色の混沌」なのかもしれないな。他にも、いろんな人によって、いろんな呼び方がされているのかもしれない。

 以下、andymoriの『ボディーランゲージ』という曲の歌詞。いい曲。


二人だけでボディーランゲージ いつの間にかボディーランゲージ
揺れる揺れる木の葉をみてた あの穏やかな日のように
息を潜めボディーランゲージ ここしばらくはボディーランゲージ
寄せては返す波をみてた あの穏やかな日のように

さめて もえて

もう一回ボディーランゲージ 適当でもボディーランゲージ
ひとつにはなれない僕らの選んだ悪あがき
どこまでもボディーランゲージ いつまでもボディーランゲージ
ひとつにはなれない僕らの最後のテレパシー

さめて もえて さめて もえて

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