社会主義者であるプルードンは、財産とは盗みなり、と言ったが、まったく同じ内容のことを『レ・ミゼラブル』のミリエル司教も言っている。ジャン・バルジャンに銀の食器を盗まれたあと、曰く、「マグロワールさん、わたしはあの銀の食器を間違って、しかも長いあいだ、じぶんのものにしていた。あれは貧しい人たちのものだったのです。ところで、あの男はなんだったかね? 明らかに貧しい人でしたよ」。 とはいえ、社会主義者たちとこの「正しい人」を、一緒にすることはできない。財産とは盗みなり、の一点においては、意見が一致するとしても、本質的には、両者はまったく正反対の思想の持ち主である。
投稿
10月, 2022の投稿を表示しています
- リンクを取得
- メール
- 他のアプリ
これだけ科学技術も発達しているのに、人間はいまだ生活の大部分を労働に費やしている。貧しい人たちもいまだに存在している。科学技術のおかげで生産力はアップしているし、一人の人間が食べることのできる量など限られているのに。資本主義は、使用する物を消費する食べ物のように扱っているので、いくら生産力があってもそれで十分とは言えないのである。 足るを知るな、もっと欲せ、もっと働け、経済を回せ、というのが資本主義のスローガンである。そのために企業には、便利で新しくはあるが、すぐに壊れる物を開発することが求められる。生産のスピードについて行くため、過剰な宣伝広告が、人々の無自覚のうちにある欲望をかき立てる。それらすべてが、人間のためではなく、経済を回すために行われる。
存在に拘束されて
- リンクを取得
- メール
- 他のアプリ
愛し方が足りないと言うのか 私を世界に投げ入れた者に もっともっと! と けしかけられる だけどそもそも 一体誰の許可を得て そんなことをしたのか 私がそれを望んだと言うのか どこからやって来て どこへ行くのか 誰も知らない 始まりと終わりの外のことは 神さまだけが知っている すべてなすがまま 彼女の自発性は いと狭き空間に 閉じ込められている 若紫の人生とは何だったのか 生まれ直しても 彼を愛しただろうか 何はともあれそれはあった あったはあるので なかったを想像することは 語り得ないことである あったことの外のことは 神さまだけが知っている 私がそれを望んだと言うのか 私がそれを望むことを あてにしたのか 目に見えるものの外のことは 神さまだけが知っている 目に見えるものの意味も