『ファインマン物理学Ⅰ』 p47

 自分のこれまで考えてきたこと、積み上げてきたことに対して、「どうでもいい!」と力強く言い切ってしまうことによってのみ、若さは保たれる。僕は死ぬまで若くありたい。経験なんて、くそくらえ。
 他人の書いた文章や、他人の発した言葉なんてのは、参考にはすれど、縛られてはいけない。誰々がこう言っているんだから正しい、なんてのはあり得ない。瞬間、瞬間で、絶えず自分が腑に落ちるかどうかを問い続けなくてはならなくて、腑に落ちたときだけ、自分の言葉のように使うことができる。
 もっとも、そういうことを繰り返しやっていくと、自分の脳みそで考えることをしたくなってきて、そうして書いた自分の文章や、自分の発した言葉の方が、他人の文章や言葉よりも腑に落ちるようになる。こうして自分の言葉を獲得する。これは大事なことである。
 だけれども、自分の書いた文章や、自分の発した言葉もすでに過去のもの、つまり他人のものである。やはりここでも、現在の自分が腑に落ちるかどうかを、絶えず問い続けなければならない。
 そんなことを突き詰めていくと、自分の文章や発言、つまり自分のこれまで考えてきたことなんてのは、全部忘れて現在に臨んだ方がとてもいいよ、と思う。もちろん、記憶喪失みたいに忘れてしまうことはできないんだから、「どうでもいい!」と力強く言い切ってしまうくらいしかできず、そしてそれがちょうどいい。
 したがって、自分のこれまで考えてきたことに照らし合わせて、人や物事を評価するなんてのは、愚の骨頂だ! すべてを忘れて、今、目の前で繰り広げられているリアリティだけを信じて、まさにそのとき自分が感じること、思うこと、考えることに、どこまでも意識を開かなければならない。しかし、これを徹底して実践するのは難しく、たぶん年をとればとるほど難しく、だからこそここで「愚の骨頂だ!」と叫んで、自分で自分に言い聞かせている。ま、まだ僕はハタチですが……。
 そして、おれはこの文章も忘れる! もう、終わったことだ。どうでもいい! はい

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