人と人とが仲良くなるというのは、奇跡に近いことである。仲良くなるためのアプローチ次第で、仲良くなれるもんも仲良くなれなくなるし、それから運もある。そしてなにより、アプローチうんぬん以前に、双方が仲良くなりたいと思っていなければ決して仲良くなることはできない。それも、双方が同じくらいに仲良くなりたいと思わなければならないのである。こんなハードな条件をクリアしてやっと、人と人とは仲良くなれる。あまりにもハードだ。
 自分が仲良くなりたいと思っているのに、相手が仲良くなりたいと思っていないと分かったとき、人は傷つくけれど、これは誰のせいでもない。誰一人として、悪い人間はそこにはいなくて、だから、そういうときは自分一人で静かに泣くしかないし、逆に、相手が仲良くなりたいのにも関わらず、それに自分が応えられないときは、相手に一人で泣いてもらうしかない。自分は相手に対してどうすることもできない。この種の悲しみは、基本的には一人で背負わなければならないものだ。ここに孤独が与えられる。ええと、「孤独」とかかっこつけて言う必要もないですね……要は、寂しさだ。まあ、僕はあんまり涙とかは出ないですけど。
 やがて、一人で泣くのが怖いので、相手に期待するのをためらうようになる。ためらえばためらうほど、相手に、あまり仲良くなりたくないんだな、と思われたりもしてしまう。
 だから、相手の考えていることはいつも分からない。仲良くなりたくないのか、期待するのをためらっているのか。仲良くなりたいのか、僕を傷つけたくないがために仲良くしてくれているのか。分からない、分からない……。それでも、分からないなりに最善を尽くして、期待して、一人で泣くのも覚悟して、相手に臨むのである。だから、人と人とが仲良くなるというのは、本当に本当に奇跡に近いことだ。
 誰一人として、相手を傷つけてやろうなんて悪意を持っていない世界であるとしても、必ず人は傷つくはめになる。驚くほど誰も悪くないのにも関わらず、みんな必死に右往左往して、頭を抱えることになる。そういうのを考えると、やるせないな……と思うけれど、村上春樹の小説に登場するラジオMCは、「僕は・君たちが・好きだ。」とか言ってるし、僕も、そういう全部を、いいことと悪いことの全部をひっくるめてそれが、いいなあ……と、余裕のある日は思うことができる。
 そして僕は今、ミスチルのイノセント・ワールドを聴いている。やっぱりいい曲だあ……

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