本物になりたいんですよね。本物な人たちが僕を見たときに、その人たちに「あいつは本物だ」とか思われたい。(しかし「あいつは本物だ」なんて本物な人たちはきっと思わないのかもしれないけれど。「なんか好きだな」とか「自分と気があうかも」とかそんな感じだろう。例え思っても、そんな素振りは決して見せないだろう。)こういう考えはくだらないのかもしれないけれど、くだらない考えを自分が持っていることを自覚しないことにはなにも始まらない。くだらない考え、醜い感情、下心でもなんでも、寂しさとか嫉妬とか、そういうのを抱いていることによってその人の価値が下がるとは到底思わない。それらを自分でも観察しようとせず、負のエネルギーだけを野放しにすることがいけない。自分の中にあるそれらをなるたけたくさん把握して、その上でそれらと対立するきれいな感情もまた把握して、そのせめぎ合いの中に自分は立っているのだ、という真面目な態度こそが、本物を形作るのではないか? 取り繕うことは必要だ。しかし、自分は取り繕っているのだ、という自覚がなければいけない。大人になっても純粋そうに見える人は、自分の中にある純粋でない部分をしっかり知っているのではないか? だから平然とするしかない。そうするより他に仕方がないから平然としているけれど、それについて聞かれれば「平然とするしかないじゃないか」と正直に返す。このとき、言葉と態度がちぐはぐになるかもしれないけれど、それもまあ、しょうがないです。

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