おれ、大きなコンプレックスとかも特にないし、まだ若くて時間あるし、親からもかなり愛されてきたし、不幸な出来事もさしてないのにも関わらず、自分なりに「まとも」な人間になるために自分のことについて考える過程で、ここ2〜3ヶ月かなり精神的に辛いものがあった。最近はやっと安定してきたけど、これからもきっと辛い時期はあるだろう。
 おれほど恵まれている人間でもこれほどまでに辛かったのに、他の人は耐えられるんだろうか? おれでもどうしようもないくらい辛いときがあったのに、本当になにをすればいい? 一体全体どうしろと? というくらいに気が滅入ってしまう日があったのに、おれよりも辛くなる理由が用意されている人たちは、どうやって自分なりに「まとも」な人間に近づけるんだろうか? 少なくともおれが感じた辛さは感じなくてはならなくて、それだけでもどうしようもなく辛いのに、それ以上に辛いだなんて耐えられるんだろうか?
 そしてさらに辛い人というのもいて、彼らが精神的な病気になったりクスリに手を出したりするのだろうか。さらにさらに辛い人もいて、ついに自殺をするんだろうか。そしてこれらが、かつておれが漠然と思っていたよりも簡単にあり得てしまう気がする。(実際、人身事故ならしょっちゅう起きてる。)そうなってしまう人が特別変わっているとか、心が弱いとかではきっとない。おれは全然大丈夫だったし、そういうふうには決してならなかったし、これからもきっと大丈夫なんだろうけれど、それでもおれと彼らに境界はなく、おれの辛さの延長線上のはるか向こうではあるけれど、それでも間違いなくつながっている場所に彼らがいるんだとしたら、彼らが自分の身を滅ぼすことなく自分なりに「まとも」な人間になることができるために、打つ手はあったんだろうか?
 自分なりに「まとも」な人間になろうと思わなければ、そういうことに鈍感であり続けることができるのであれば、辛い思いなんてしなくて済むのかもしれない。つまりそれは、身を滅ぼすことを精神が恐れて、心の奥底で、「そのことについては考えるな! 考えるな!」って叫んでいるということなのかもしれない。しかしそれで自分なりに「まとも」な人間になろうとせず、多くのことをごまかして生きていくとしても、誰がそれを攻めることができるだうか? (いや、おれはひどい人間だから、他人のそれを攻めたことがある。)自分なりに「まとも」な人間になる過程は恐ろしく辛くて、少なくともおれの感じた辛さくらいは必要だとして、もしもそれ以上に辛いんだとしたら、誰が自分なりに「まとも」な人間になんてなりたいと思うだろうか? 自分なりに「まとも」な人間として暮らせるために、そんなに辛い経験が必要だなんて、おれは知らなかった。
 もしかしたら、かなり的外れなことを書いたのかもしれないけれど。それにちょっと支離滅裂。

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