「なぜ」と「どうすれば」(内から外へ)

 「考える」には、「なぜ」と「どうすれば」があって、僕はいままで「どうすれば」を少し軽蔑していたのかもしれない。「なぜ」だけをずっと考えていて、それでかなり楽しかったし、上手くいった部分も多かったけど、それでは解決できない部分がおそらくたくさんあって、それに気づけたここ最近は、「どうすれば」を鍛えている。「どうすれば」だけを鍛えてはいけない。これは絶対にそう思う。
 「なぜ」は、「本当のところ」を知るために必要な問いだ。僕はこれまで、本当の自分(自分が本当に思っていることや、やりたいこと、発言、ふるまい)みたいなものを、ものすごくたくさんの時間をかけて考えていた。その中で、ものすごくたくさんの「本当ではないもの」を身にまとってずっと生活していたことを知り、それらをそぎ落としていくたびに、「本当のところ」に近づいているような実感もあった。これは、非常に面白い体験だった。しかし、そういう「そぎ落とし」みたいな作業があらかた終わってしまった後で、じゃあ肝心の「本当のところ」ってのは一体なんなんだ? という部分がいくら考えても全く分からず、だんだんと「なぜ」を考えるのが非常に苦しい作業になっていった。具体的にどういう感じかというと、自分の発言やふるまいのすべてが、どれも嘘くさいというか、なにか隠したい動機のためにでっちあげたものに感じられて、それを他者に見透かされるのが怖い、みたいな。
 今は、(助言もあって!)、「本当のところ」なんてのはなくて、体を動かしながら作っていくものだ、というふうに考えている。というより、そういうふうに考えた方が「うまくいく」のではないか。(本当は「本当のところ」があるのかもしれないが、しかし、本当は「本当のところ」があるのか? という疑問の「本当」もないのではないか。……ええい、知らん、ひとまずは「どうすれば」「うまくいく」かをよくよくかんがえてみようじゃあないか!)といった感じで、いったんゼロになった自分を、イチから「どうすれば」を考えることによって、作り上げているのが今の段階であります。そうして作り上げてった先に、「本当のところ」があるのかもしれない。(そう信じよう。われ疑わず!)内向きに「本当のところ」を探すのではなく、外向きに「本当のところ」を探すイメージへ。実際に僕は、家の外に出て歩き回り、人と会って話をしたりすることによってそれを学んでいる。(優秀!)

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