「エナジイを燃やすだけなのです」!

 ふとしたときに、あらゆるいいことも悪いこともひっくるめたすべてに対して、「いいなあ!」と思うような雑な感情が湧き上がって、「人間!」とか「世界!」みたいな、ざっくりとした言葉しか頭に浮かばなくなって、そしてそれを「エナジイ」と呼ぶことにする。
 体と脳みそのすべてを動かす原動力になっている、エナジイみたいなものがしっかりと自分の中にあって、それがあるからあれこれ考えたり動いたりするわけです。だってそうじゃなかったら、そこになんにもなかったら、どうしてあれやこれや喋ったりする必要があるだろうか? 惰性で生きて惰性で死ねばいいじゃないか、なんのこだわりもない、全員同じことをして同じ方を向いていればいいじゃないか、ということになる。
 その「エナジイ」を取り出して直接目で確認できれば一番いいし、それを取り出して人に見せることができれば一番ラクなんだろうけれど、それがどういうわけか無理だから、こうして考えたり喋ったり動いたりして、間接的にでもその存在を確認する。営みがあるんだから、自分の中に(人間の中に)何かはあるはずだ! と思う。
 意識して、このエナジイとやらを大切にしたい。どんなに上手に喋っても、どんなに論理的に正しくても、そこを誤魔化しているんならやめてしまえ、と思う。どうか、エナジイに従ってください! エナジイをできるだけ正面から把握してください。(まじで、「エナジイ」ってなんやねん…、と自分でも思いはじめる。)
 間違っても、24時間テレビなんかを見て、エナジイを感じちゃったりするようではいけない、と思う。逆に、一切のエナジイをなくして、それっぽいことを言う脳みそだけをこしらえてもいけない、と思う。
 「たしかにこれは!」と言えるものを常に探して、外を、あるいは自分の中を、歩きまわるのだ。だから僕はだいたいぎりぎりで喋っています…。でも最近はもうちょっと上手に喋れるようにもなってきた。本当のところをうまく隠すようにスマートにふるまい(でもそれはそうするしかないからなのだ)、ふとした瞬間に「わ!」と言って驚かせてみたりしたいもの。

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