広い意味での「政治」

 政治についてあれこれ考えるのは楽しい。複数の人びとが集まったときに、どういう権力が働いて、それがどういう影響を及ぼすか、どうやって複数人をまとめ上げるのか、といったことを考えるのが楽しい。
 「Aがもしいなかった場合にはしなかったであろうことを、Bがする」とき、「AはBに対して権力を持っている」と言う(ことにする)。これは、なにもAが暴力や暴言を使ってBに強制的になにかをさせた場合に限らない。例えば、BがAの顔色をうかがって、なにか発言や行動を制限された場合でも、AはBに権力を持っていると言えるし、なんなら、BがAを喜ばせようと思ってプレゼントを買ってきただけでも、AはBに権力を持っていると言える。このことからも分かるように、人が2人以上集まれば、必ず権力は発生する。そしてその大小はあれど、ほとんどの場合、双方向に(AはBに対して、BはAに対して)権力は発生する。
 そして政治とは、権力構造や権力配分の問題を扱う学問であると、僕は理解している。であるから、家族でも国家でも、政治というものはある。学校でも会社でも、あるいは友人が集まったり、恋人同士でも。人が複数人集まるところ、つまり権力があるところすべてに、政治はある。人間関係について考えることは、政治を考えていることと同じ! と、僕は思っている。(ハンナ・アーレント的には、「哲学」は一人きりでやるものらしく、では複数人でやるものはなにか? と問うたとき、それは「政治」である、らしい。)
 僕は、あらゆる人が集まる場所での、パワーバランス(権力配分)を考えるのが好きである。できる限り自由な関係を作り上げようと、一人ひとりが、自らの権力の強弱を考えられる賢い人間であることによって成り立っている政治がある。誰か1人(あるいは一部の人間)が絶対的な権力を持っていて、その人がその他全員を強制的に従えているような政治がある。画一化された人びとが権力を持ち、そこから外れた少数の人たちをボコボコにすることによって成り立っている政治がある。そういうのを考えるのは、面白い。

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