期待感=元気

 われわれは、期待感があるとき元気である。逆に、元気であるときは(それを意識してなくとも)期待感がある。だとすれば、するべきことは期待感を持続させることだ。できれば、死ぬ瞬間までなにかを期待し続けたい。そうすれば生きてる間ずっと元気ということになる。
 例えば、「死後、天国に行ける」と期待することができれば、つまり聖書の神さまを信じて善行し続けるのであれば、生きているうちにどんなに惨めなことがあっても元気でいられる。キリスト教に限らず、宗教は信じること(期待すること)を人びとにさせて、人びとの元気を支えていた(と同時にたくさんの問題もあったが)。しかし、科学の発展(など)にともなって宗教を信じることが難しくなった今日では、それ以外のなにかを積極的に期待する必要がある。
 「死後、天国に行ける」は良い出来事(イベント)だ。起こることが期待できる良い出来事を見つければいいということになる。
 期待するものを一つに決める必要はない。むしろたくさんあったほうがいい。なぜなら、一つのなにかを期待してそれが裏切られるとき、もう期待できるものがなくなってしまうからだ。次に期待できるなにかを見つけるまでの期間、元気でいることができなくなってしまう。
 一つひとつの期待は小さい方が良い。なぜなら一つの期待が裏切られてそれが大きかったとき、自分の持っていた期待の総量が減るからだ。だから、できるだけ小さな期待感を、できるだけたくさん持っているのが良い。
 小さな期待感をたくさん持つとき、これはもはや具体的な出来事を期待しているわけではない。例えば目的を持たず街を歩くとき、面白い人に出会えるかもしれないし、景色の良いところを発見できるかもしれないし、思いもよらないことが起こるかもしれないし……といった、曖昧な期待感を持つ。「なにか」良い出来事が起こる! くらいのものである。
 小さな期待感をたくさんふわふわさせるのがよい。そのためには、期待できそうなものを見つけられるようにつねにアンテナを張っておくこと、探すこと(ネットで探す、実際に街を歩く、など)。その他、良い出来事が起こる伏線を張っておくのも効果的(好きなアーティストのライブtシャツとか着てれば、「おなじくそのアーティストが好きな人に声をかけられるかもしれない」と期待できる。しかし、そのtシャツがダサければ他の期待を下げることにもなるので注意が必要。など、期待の総量がマックスになるようにたくさん考えませう)。

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