一対一の関係

 仲間に入れてやるとか、仲間に入りたいみたいな心の動きがあまり好きではない。コミュニティ、仲間、集団がまず先にあって、そこに人が入るのを受け入れる受け入れない、受け入れられたい受け入れられたくないみたいなのが好きではない。
 例えば、すでに仲良しの三人組がいたとする(四人組でもなんでもいいんだが)、そこに新しくやってきた一人が仲間に入りたがっている。そして、その仲良し三人組でその人を仲間として入れてあげるのかあげないのかを相談する。意見が割れたりするかもしれない。あるいは、誰か一人の発言が強く、その人に他の二人が従うのかもしれない。いずれにしても、仲良し三人組で一つの決断を下すのだ。こういうのって、ちょっとあまりかっこいいとは言えないのではないか。
 一人ひとりが、その人と仲良くするかどうかを決めたらいいのではないか。そもそも仲良し三人組というのも、意識としては、AさんとBさんが仲良し、BさんとCさんが仲良し、CさんとAさんが仲良し、というような、一対一の関係が三つあるのだと考えるべきではないか。そして、Aさんが新しくきたDさんと仲良くしたいなら仲良くすればいいし、Bさんは仲良くしたくないのなら仲良くしなければいい。当然、そのことでAさんはBさんを、BさんはAさんをとやかく言うことはしない。そうやって、グループと一人の関係ではなく、一対一の関係だけがあるのが健全ではないか。
 お店とかでは、お店の人とお客とで一対一の関係がまずある。お店の人が誰かを出禁にしたりするのは、この一対一の関係における動きと見れるのではないだろうか。他のお客が出禁にされた人と仲良くしたいのであれば、他の場所で仲良くすればいい。
 一対一の関係だけを持つとき、グループに所属していたときは誰かと相談できたのと違って、すべて一人で考えて誰とどのように仲良くするのか決断することが必要になる。考えることが増えるだろう。そういう意味で、あまり簡単なことではないのかもしれない。しかし、それを目指す方がかっこいいし、正しいという気がする。
 これは、派閥とかそういうのを作らないことでもある。派閥なんて、ほんとにくだらないんだから。みんなどうせ一人だし、だから一人ひとりが考えて人と仲良くするべきだ。特に「かっこいい集まり」というか、なんか会員制っぽい(?)意識高い感じの集まりとか、ほんとにかっこ悪い。一人で考えて行動もできないくせに、「かっこいい」グループに属してることで自分のことをかっこいいと思ってるような人たちは、一人残らずかっこ悪いです。
 村上春樹の小説に出てくるような人間関係はいい。どれも一対一の関係だ。だから、双方が仲良くしたいのであれば、社会的に一見ふさわしくなさそうな組み合わせでもなんの問題もない。それに文句をつける人はいない。例えば、30代の男性と16歳の少女でもちゃんと仲良くなれてしまう。(これは、30代の男性がものすごく立派な人だから成立するのではあるが…。)とにかく、自分が誰かと仲良くするにあたって、その人と仲良くすることを他の誰かがどう思うかとか、そんなことを気にしなきゃいけないのがなんかおかしいと思うのだ。(もちろん恋人の場合は話が変わってくる。それから、危ない人と仲良くしない方がいいよ、みたいなのは大事。教育的な配慮というか…。)
 それなりに賢くないと一対一の関係だけを築いて生きていくのは難しいのかもしれない。でもおれはそれを目指しています…。

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