新宿のゴールデン街という場所に行くことがある。しかもつくばから行くので一時間半くらいかかるわけだ。遠くに来たな、という感じがものすごくある。距離だけではない。そこにある物やいる人が、つくばとはあまりにもかけ離れているからだ。
 遠くに来たとき、寂しい感覚がする。知っている人はいないし、なじみの物もなにもない。それでもなにか楽しいことがあるはず! と思って、期待感や好奇心を持ってわざわざお金と時間を使って遠くに行くわけだが、期待していたような楽しみがなかったとき、本当にみじめな気持ちになるのだ。特にゴールデン街はなんか賑やかなイメージだし、みんながそこで楽しんでいる雰囲気があるのに自分は楽しめないのか、と悲しくなったりするのだ。ひとりだし。そしてそういった期待が打ち砕かれる出来事が立て続けると、もう「家から出よう!」という気にならなくなってくる。
 今まさに楽しい! 面白い! と思っているときは元気である。でも、生活している間ずっと楽しいことがあるわけではない。では、楽しいわけではない時間は必ず寂しい辛い苦しいのかというと、そういうわけでもない。それは期待感があるからだ。これから(数秒後か、数年後か)楽しいことが待っているはず! という期待感が持てているうちは、そのとき楽しくなくても元気でいることができる。逆に、この期待感まで持てなくなったときは、本当に本当に辛く、寂しい。
 頑張って遠くに行って、なにも楽しいことがなく帰宅を余儀なくされたときの気持ちは、まさにこれである。どうせ家を出ても楽しくない、お金を使ってわざわざ寂しい思いをするだけだ、と思ってしまうし、事実その可能性は常にある。期待感がなにかのきっかけで復活するまで、楽しいことも楽しいことが起こる期待感もなく、家にこもって頭を抱えることになる。
 こうならないようにたくさん考える。つまり、期待感や好奇心を持って外に出て、遠くに行って人と会ったとき、その自分の期待感に自分で応えるためにはどうすればよいか、いろいろ試行錯誤をする。誰かに楽しくしゃべりかけてもらえるためのふるまいだったり表情だったり、会話してるときにどういうテンションやスタイルがいいのかだったり、いろいろ考える。特に、僕はこれといった趣味がないので、どういう嗜好の場所に行けば人と仲良くなれるはず、というものが一切ないのだ。本は読むが、「本が好き!」つながりで人と仲良くなれるほど好きではない。音楽も同様。特別頑張っていることもないから、それをきわめてそこで会った人と切磋琢磨して…なんてのも一切期待できない。
 なにかのラッキーで楽しいことが増えることもまれにあるだろう。就職したとかで新しい環境になって、そこで楽しい人間関係が築けた、とか。そういったラッキーが訪れるまで、家にこもってひたすら待つのもひとつの方法なのかもしれない。し、家にこもっている間に分かることもたくさんある。ものすごくたくさんあるので大切にした方がいい。しかし、最終的には外に出て楽しいことを見つけなきゃいけないし、ラッキーを待たないのであれば自ら探しに行かなきゃいけない。楽しめそうななにかをちゃんと楽しめるための努力、試行錯誤が必要になる。数打ちゃ当たると思うことも大事だろう。
 ウー、あらゆることがうまくいくといいですね…。僕も、これを読んでいる人も、読んでない人も…。

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