意味〜

 一度考え始めたことは、とりあえずどんなことでもちゃんと考えてみることにしている。試験的に。「仮に…」から始めて。そうやってたくさんの可能性だけを頭にストックしておく。
 そういう姿勢は、なにかを信じることとは反対にあるのかもしれない。なにかを信じることは、それについて都合の悪い部分に対して盲目的になることだ。都合の良い部分だけしか見ないことだ。それに対し疑うことは、すべてを見てから物事を決断しようとする姿勢である。
 だけどすべてを見尽くすことはできないし、見尽くしたとしてもどれか一つを選ぶための基準があるわけでもない。いろんな可能性だけが頭に残って物知りにはなるかもしれないが、結局のところなにも決められないままになる。なにも決められなければなにも言うことはない。
 だから、自分の考えたことや感じたこと、良い(もしくは悪い)と思ったことがあまり信じられなくなっていて、だから今の僕はたいした意見も思想もない状態である。なにかに批判的になることはこれから減っていくと思うし、なにかを嫌悪することもなくなっていくだろう、多分。

  andymoriの「トワイライトシティー」という曲の歌詞に「別に悲しくない 消えていくわけじゃない 流動するだけだ」「あらゆることに 深い意味はない」とある。
 やまない雨はないが、晴れていてもいつかは雨が降る。人類が天候を操ることはできないのと同じように、人は物事が変化することにほとんど手出しできない。雨が降るも晴れるも黙って受け入れるしかない。
 われわれは、大きなもの、大きな流れの中にいて、なんの意味もない世界をただあるがまま流されるしかないのもかも。かも、だけど。(遺伝子だか輪廻だか分からんけど。)

 ふてくされているわけでは全然ない。いえ〜い、物事を楽しむつもりはあるし、人と仲良くしたいとも思っている。美味しい物は食べたいし、音楽も聴く。最近は働くことにも興味がある。自炊も頑張りたいし、大学もしっかり卒業するつもりだ。
 しかしそれらの原動力は期待感や希望ではない。大きいところでは物事を諦めながら、小さいところで自分のよく分からないこだわり(的なもの)に従って行うこと(行いたいと思っていること)である。諦めつつも自暴自棄にはならないようにするための自前の行動原理みたいなものを作り上げていきたい。

 意味、あるのかもしれないですね。僕にはまだよく分からないけど、それなりにちゃんとはしようと思う。大学を卒業するまでに、社会に出てちゃんと働いてお金をもらって生活することへの準備をしようと思う。昨日は野菜と肉炒めてめんつゆでパスタ作ったし、一昨日は水っぽい焼きそばを作った。その前はサンドイッチ作ったりカレー作ったりもした。

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