元気がないときに人と会うのは

 元気がないときに人と会うのはものすごく大変だ。

 今日一日東京にいて結果的に複数人にお会いしたが、始めから終わりまで精神的にいっぱいいっぱいで、話し方、仕草、表情すべてがぎこちなかった。なんとか平然とした感じを装おう(よそおおう)としたが全然ダメだったと思う。(いわんやかっこつけることをや、である。)


 人と会うときは大体緊張している。人にどう見られているか、どう思われているかを気にするから。つまり自意識があるからだ。

 緊張すると少し頭が混乱状態になって考えるスピードが落ち、すらすら言葉が出てこなくなる。だからいつも意図的にゆっくり話すことで言葉が詰まらないようにしている。また緊張すると顔がこわばるが、それを隠すためにむりやり平然とした表情や態度をつくっている。うまくいけば緊張や自意識が相手に見透かされずにすむ。
 (度が過ぎると、とっつきにくく、なに考えてるかわかんない、無表情で冷たいといった印象を相手に与えることになるかもしれない。緊張していても愛想良くにっこり笑ったりできればそれが一番いいのかもしれないが、今のところ僕にはそれができない。訓練が必要なのかも。)

 しかし元気がないときは自分の緊張や自意識を隠す余裕がなくなってしまう。だから平然とした表情や態度をキープすることができなくなり、喋りや動きのすべてがぎこちなくなる。そして顔がこわばる。ゆっくり話をしても追いつかないくらいに頭が混乱しているので、言葉を詰まらせてなにが言いたいのか分からんと思われることもしばしばだ。

 今日はそういう日だった。しっかりと落ち込んでいる。


 去年の秋から今年の一月くらいにかけて、僕はまともに人と会ってコミニケーションをとることをせず基本的にずっと一人きりでいた。その間も寂しさはつのる一方だったからかなり元気がなくなっており、このままではやばい、なんとかして人に会わなきゃと思って、今年の二月に東京上野にある夜学バーというところに足を運んだ。
 その当時(二月から三月にかけて)は気が滅入りすぎていたので、カウンターに座って人と向かい合うだけでいっぱいいっぱいだった。ひどいときは基本的にずっと黙っていて、話しかけられたときだけごく簡単な受け答えをする程度のコミニケーションしかできていなかったと思う。

 今日はその当時の自分を少し思い出すほどの気の滅入りようだったのだ。そのときほどしどろもどろではなかったにせよ、終始気持ちが安らぐことはなく、かなり神経をすり減らす一日となった。


 それでも今日はラッキーな偶然があり、ちゃんと家を出て東京に来て良かったとはかろうじて思う。元気さえあればもっと良い一日になったような気はするが。

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