分からないことを分かってないんじゃないのか?

くわしく話す前から僕がどういう人間であるかを決めてかかってくることはどうかやめてほしい。話始めからもう偏見にまみれているのだ。僕の発した言葉やツイートから言葉じりだけをつかんで、「そういうのは(自分も考えたことあるけど)どうなんすかね」と言わんばかりの顔で食ってかかってくるのだ。自分の考えた理屈と相手の考えた理屈とでは、例え同じ言葉を使っていようとも、同じものさしの上にあるわけでは決してない。ちゃんと話を聞こうぜ、と思うよ。(ブーメランになっていないかものすごく心配だ。)



でもまあ、人がどういう人間であるかなんて、自分の中にある理屈から判断するしかないんで仕方ないとも思います。

・フラットな見方なんてどこにも存在せず、人は偏見でしか物事を見ることができない。
・「思い込む」以外のやり方で「思う」ことはできない。
・完全な客観なんてものはなく、あるのは解釈だけだ。
・「そうであってほしい(あるべき)」と「そうである」に境界はない。
・「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない。」

これらをいかなるときも忘れてはならない。痛いほど肝に銘じよう。自分の考えたことを信じてはならない。(分からないことを分かってないんじゃないのか?)



そして、他人と分かりあえる日はいつかくるのか(あるいはその必要はないのか)?