社会性のなさ

打ちっぱなしゴルフ練習場で、夜八時から九時半までのらくなバイトをしている。普段は火曜と木曜が僕の担当なんだけど、用事があると友だちに代わってもらったり、逆に友だちの担当の日を僕が代わりにやったりする。そしてこの前の土曜日(土浦の花火大会の日だ)も、友だちの代わりに僕がゴルフ練習場に行かなければならない日なのであった。

しかし僕はそのことをすっかり忘れていて、無断欠勤してしまった。



僕は人並み以上に誠実に生きているつもりである。でもそんなことは今どうでもよくて、中高を思い出してみると僕はよく遅刻をしたし、提出物も出さなかったし、忘れ物をしたし、テスト勉強も付け焼き刃であった。僕は怠惰かつ注意力散漫なところがある。

しかしそれだけならたいして問題はない。(大いに問題ありだという意見もあるけど。)一番の僕の問題点は、そういう自分の怠惰や注意力散漫を恥じてしまうということにある。しかもそれが精神的にかなりこたえるのだ。

恥じてしまうといっても、怠惰や注意力散漫による失態それ自体を恥じているわけではなくて、それによって人に迷惑をかけて信頼を失うとか、だらしないやつだと思われるとか、怒られるとかいった、失態のあとに待ち構えている対人コミュニケーション(?)のもろもろを恐怖しているといったほうが正しい。

つまり怖い大人が死ぬほど怖いのである。(二ヶ月くらい前か、一人で車で千葉に出かけたとき、停めちゃいけないところに車を停めてしまって、お店でゆっくりと本を読んでいたところ「黄色い車の持ち主はいねえか」とのりこんできたお兄さんにかなり恐怖した。本当にびっくりしてしまって、その日はもう一日じゅう気が滅入ってしまった。ところで、僕の「怖い大人が死ぬほど怖い」の原体験は父親である。また、人を怒るドッキリとかを平気でやっているテレビ番組や、それを楽しく見てる人たちの神経を疑う。)

僕にとってこれは本当に本当に大きな問題で、だから失態があると「逃げる」を選択してしまいがちである。すぐにちゃんと謝れば最小限で済むものを、(血を吐く思いで)ずるずると逃げまわって、もう逃げられないというところまで逃げてしまいがちである。おびえと惨めさを感じて。犯罪者が逃げまわっているのと似たような気持ちなのではないかな。(犯罪者のそれの方が苦しいとは思うけど。)

この前の土曜日に関しても、無断欠勤してしまったことに気づいた翌日(日曜日)にすぐ電話をして謝るのがベストであることは分かっていたし、そのつもりでもいたのだけれど、いざ電話をしようというときになると気が重く、結局しないまま次の火曜日(バイトに行く日)を迎えてしまった。最悪な気分でゴルフ練習場に向かった。

これまで、たまにある失態を除けばまあまあ真面目に働いてもいるし、僕はちゃらちゃらした感じでもないからなのか、ちゃんと謝ったら拍子抜けするくらいあっさりと許しを得た。きっと日曜日に電話をしていればすぐに許してもらえて、惨めな気持ちで逃げまわっているような憂鬱な三日間を過ごさなくて済んだのだろう。(ところで、そういう惨めな気持ちでどうしようもなくなって夜に車を走らせを書いたのが昨日のこと。)



こんな感じでまともに社会で働けるのだろうか、と不安になります。