から回りの理想主義

おそらく他の人から見ればとことんくだらないこだわりを、僕はたくさん持っていると思う。それが良い結果をもたらすこともあれば、自分を苦しめることもある。

自分自身のことに関して、僕は誰にどのように説得されようと自分の決定を変えない。自分の心が惹かれない限り、どんなに偉い人や成功者の言ったことにも耳を貸すことはない。そういうところ僕はとことん頑固である。(その代わり自分以外の事柄に関してはわりと無頓着。)僕は僕自身が用意した規範にのみ従いたいと思っている。みんながやってるから自分もというわけにはいかないらしい。

とことん効率の悪い価値観で生きているということは重々承知していて、こういうのは社会でやっていきにくいということも分かっている(たぶん会社に入った途端すぐさま問題児扱いされるだろう)。多くの人は僕に対して「なんだかよく分からない」とか「自分の考えに固執していて柔軟性がない」とか思って近づいてこないだろう。

「から回りの理想主義」という言葉を最近発見して、まさにこれだなあと思った。夢想家。野心がなければ、お金にも興味がない。芸術に入れ込むには哲学的すぎる。要するに、もう、なんでもない。偶然だけで生きていくしかない人間であるような気がしてくる。きっと「信頼のおける雑用」みたいな職業が一番向いている。(『ムーン・パレス』という小説が面白かった。物語の最初、大学生である主人公が堕落していく様子が今の自分の堕落した大学生活と重なってるように思えて、妙に納得したり感動したりした。)

大学を卒業したら東京に住むと思う。そうじゃなければ沖縄に。それ以外のことはまったく分からない。



最近強く思ったこと:人生を良いものにしようとして、人生に対して能動的に働きかけを行うことが僕には向いていない、できない。