下書き(最後まで書けなかった文章ふたつ)

 なにが分からないかも分からないというのは、混乱しているということ。そういうときはうまく言葉が出てこない。話した途端、どれも真実ではないような気がしてくる。自分をごまかしてるのではないか、そして相手にそれを見透かされているのではないかと不安になる。うまく言葉にできないから、誰にも分かってはもらえない。一人きりだ。

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 家にいること、一人きりであること、それがスタート地点である。
 僕が一年以上も前からずっと望んでいることは、ただ自分の中にある期待感と好奇心のおもむくままに、自分のいる地点から(物理的にも精神的にも)遠くへ遠くへと向かっていくことである。まず街へ、それから世界へ、という具合に。そして人と会うこと。
 しかし遠くへ行けるのは天才だけであるらしく、そして僕は明らかに天才ではないから、期待感と好奇心のおもむくままどこまでも遠くへ、というふうにはいかないようだ。だから僕は今でもたいてい家にいるし、だいたい一人きりである。ほとんどスタート地点から進んでいないみたいである。
 遠くへ行きたいのにその力がないとき、何らかの檻に閉じ込められているような気持ちになる。檻が具体的に何なのかははっきりと分からない。それは家だと思うこともあれば、つくばだと思ったり、自分自身(が作り上げた精神的な制約?)だと思うこともある。何もできることがないからおとなしくじっとしていて、何かが変わるのを受動的に待つしかないと思えてくる。閉塞感。