ところで、このまえ書いた「玉ねぎを剥いていく」という詩は、「内省」をテーマにした詩なのである。内省、まさにこのブログで主にやりたいこと。自分がいま感じること・考えることは一体なんなのだろうか?と、自分の中に深くもぐっていくさまを書きたかったのです。玉ねぎの層を剥いていくことで、その中心(本当に自分が感じること・考えること)にせまっていけるのだ、という実感を! つまり僕はこのブログに文章を書くことによって、僕の「精神的玉ねぎ」を剥いているのである。対して「物理的玉ねぎ」とはスーパーで売ってるふつうの玉ねぎのことです。(カタカナの「タマネギ」の方がよかったかなあ。それだと「精神的タマネギ」になって、なんかいい。)