「生きる」とは…

人間はごはんを食べないと死んでしまう。ごはんを食べるためには(狩りをする時代でもないから)お金を稼げなければいけない。

「人間は」と書いたが、これは人間(個人)でなくても同じことで、もう少しスケールを大きくしても成り立つ。「家庭は」お金を稼がなければいけない。「会社は」お金を稼がなければいけない。「国家は」お金を稼がなければいけない。

国家がお金を稼ぐためには、他国に車を売らなきゃいけなくて、そのためにはたくさんの電気が必要で、だから原子力発電所が必要である!といった具合に、お金を稼ぐための営みは膨らんでいく。

国家がお金を稼ごうとしないとどうなるか(車を作らなくなるとどうなるか)というと、お金をたくさん稼ごうとする国(例えばアメリカ)にたくさんのお金を持っていかれて、国家全体がますます貧しくなる。

お金を稼ぐことは、つねに競争することである。国家による、互いの資産を増やすための争い。戦闘機だって必要だから作られるわけではなく、お金が動くから作られるわけである。

そして、われわれ人間(個人)は、国家に属している。それは義務教育を受けなければいけないだとか、法律を守らなければいけないことからも明らかである。

国家がお金を稼がなければいけないということは、われわれ人間(個人)がそのための「社会貢献」をしなければいけないということである。便利な車を作ることは売れる車を作ることで、これすなわち「社会貢献」なのである。

義務教育も「子どもの純粋な知的好奇心を満たす」ためにあるわけではなく、国家の金稼ぎのために(将来、より便利な車を作らせるために)あるのだ、といってちょっと言い過ぎかもしれないが、あながち間違ってはいないはずだ。

受験勉強がすさまじい競争であることの説明もつく。お金を稼ぐことは、つねに競争することである。それはお金を稼ぐための人間(個人)の、そして国家の争いなのだ、といってちょっと言い過ぎかもしれないが、あながち間違ってはいないはずだ。

そう考えていくと、学歴なんてものは、社会的地位なんてものは、国家が国家の金稼ぎを有利に進めるために作った社会的な価値(ある種の幻想)であって、個人的な価値でない、といってちょっと言い過ぎかもしれないが、あながち間違ってはいないはずだ。