「自分」を自分の中に閉じ込める

人は、自分の中にあるものを外に出してしまわないと、「耐えられない」とか「寂しい」とか感じてしまう生き物なのだと思う。「自分の中にあるもの」とは、主に感情、次いで思考とか、そういう「心の動き」のことである。だから、それが報われなかったとしても好きな人には「好き!」と言いたいし、怒ったときにはその怒りを相手にぶつけなければ気がすまないのだ。それらを抑えることは、現象としてはおそらく「孤独に耐える」ことと同じである。

「心の動き」を自分の中に閉じ込めたまま、思ってもないことを言ったり、楽しくないのに楽しいふりをしたり、あるいは一人きりで部屋に閉じこもったりしている人が、この世にどれだけの数いるのだろうか。「心の動き」を自分の中に閉じ込めることは、ほとんど「自分」を自分の中に閉じ込めることと同じである。閉じ込められた「自分」は、他の誰ともつながりを持っていない、孤独な人間であるに違いない。

僕はというと、このブログに、そしてこのブログを読んでいる人たち(かなり少ないだろうが)にいくらか助けられているから、なんとかやってけてるんだけど。

(ツイッターは手軽に自分の言葉を発信できるんだけど、別の問題も生じてしまう。ツイッターやってるやつらはまったくでたらめばかり言いやがるんだからネ! ツイッター上で正直者でいるのはとても難しいのだ。ツイッターは恐ろしい。そしてツイッターはあんなにたくさん人がいるように見えて、本当は「誰もいないのだ」ということを僕は知っている。ツイッター社に騙されないように。)