暴力・社会的なもの

「男女の差」の根っこの根っこの根っこは、「殴り合ったら男は女より強い」であると思う。これが逆転していたらそれ以外のことがすべて同じであっても、男女に与えられる社会的な役割だったり、一般的に言われてしまう性格の差(「男は〜だけど、女は〜だよね」みたいな言説)だったり、女性差別あるいは男性差別だったりのすべての「男女の差」が逆転していたのでないかな、とか思う。どうだろうかー?

文明が発達する前の原始時代を想像してみれば分かりやすい。それがまさに「原始の状態」であり、複雑化した現代社会もそれの延長なのであるから。



では、「白人・黒人の差」の根っこは?

それは「戦争をしたら白人は黒人より強い」であると思う。西洋でより進歩した文明が発達したのは地理的要因によるものらしい。ヨーロッパは気候条件に恵まれており、主食となる小麦がたくさんとれて飢えに困らなかったとかなんとか。地理で習ったような気がする。そういえば科学ももともとは「趣味」から始まっている。それは食べ物に困らず、労働以外のことをする時間があったからできたことだ。教育もおなじ。(そもそも西洋が「より進歩し」ているかどうかは何が決めるのだろう? 何をもって「進歩」と言えるのかという疑問。それもやはり「戦争に勝つこと」じゃないだろうか。)



「男女の差」と「白人・黒人の差」の根っこに関して、両者に共通してるのは「暴力」であろう。最初に、暴力がある。その次に「社会的(あるいは政治的?)なもの(ルール、道徳、規範、役割など)」が決まるのだ。

資本主義と社会主義のどちらが正しいかなんて、ほとんどの人はちゃんと考えていないんだろう。ただ単に「戦争をしたら資本主義は社会主義より強い」という結果があるだけだ。その結果だけを見て、ほとんどの人は「社会主義は間違っていて資本主義は正しい」と判断し、資本主義社会を疑わない。そして彼らは資本主義社会における競争(受験勉強、就活、出世競争など)に敗れた人間に対して「努力が足りなかったからだ」と言い、個人の責任にしてしまうのだ。しかし「自己責任」がどこにあるのか、僕にはさっぱり分からない。(念のため断っておくけど、僕はもちろんコミュニストではない。)

そういった社会の決める「正しさ」って、単に「暴力」が違う形となって現れたにすぎないのではないかと思うことがある。そうではない「正しさ」、人間性に深く根ざした「正しさ」はないものだろうか? 社会性は人間性のほんの一部にすぎないはずである。