宇宙的孤独・異邦人

考えれば考えるほど分からなくなるということの、怖さ。「僕はどうしたいのか・どうすればいいのか」や「僕は今いったい何を感じている・考えているのか」といったことは、考えれば考えるほど、分からない。理想は、考えれば考えるほど「考えがまとまっていく(収束していく)」ことなのに、実際は、考えれば考えるほど「考えが散っていって(拡散していって)」しまうのである。

つまり、僕はひたすら「○○だけ守っていればお前は確実に幸せになれるよ」と言うところの「○○」を求めているだけなのに、その「○○」に近づくことが全然できそうにないのである。「○○主義者」になりたい。しかし、僕にはどんな主義も似合わないらしい。だから僕はいったい何を信じてこれから先を生きていけば、考えていけばよいのか、全く分からなくて途方に暮れているのだ。

一番怖いのは、自分の気持ちすら、真正面からは理解できないということだ。強がっている、「人のため」とか言いつつ本当はどこまでも「自分のため」である、嫉妬しているがそれを隠している、コンプレックスからの反動、同情を求めている、などなど。人は、自分で「そうだ」と認めたくない自分の気持ちに対して、とことん盲目的であるものだ。すると、自分の気持ちですら、なにも確かなものはないという気がしてくるのだ。

つまり僕(たち?)は、僕(たち)自身を含む世界のすべてから、裏切られているようなものである。誰のことも、何のことも、そして自分のことも、理解することはできない。人間は「混沌だけ」に投げ込まれた、ちっぽけな意識のようなもの。すべてのものから切り離されていて、誰とも何とも自分自身とも結びつくことのできない、寂しい悲しい存在。宇宙的孤独。異邦人。

いつか、誰か一人だけでもいいから、その人のことなら僕はちゃんと知っているし、その人も僕のことをちゃんと知っているという確かな関係がほしい。とりあえずそれを(仮の)人生の目標とした!(果たして、僕の中に、誰かに知ってもらうに足る何かが入っているのだろうか? 空っぽなんじゃあないの……。その反動で、空っぽであるということの反動で、こんなにたくさんの文章を書いているだけ、という可能性だってあるのだ。)