悲観的になる

一度でも悲観的な時期をくぐり抜けると、その後どんなにたくさん「楽しいこと」が起こったとしても、それは人生を隙間なく埋めるほどに用意されているわけではないから、悲観的な時期に経験した「不安と孤独」は、その「楽しいこと」と「楽しいこと」の合間を縫うように思い出され、そのせいで、悲観的になる「くせ」がついてしまうことになる。そうして人生の色合いが暗くなる。「人生」というものに抱く印象そのものが大きく変わってしまう。こうなってしまうと、人生は、もう二度ともとの明るさに戻ることはないらしい。

「不安と孤独」は、心が空っぽになったときを狙って入り込み、一気に広がる。そして、人生に意味はあるのか? とか、誰か一人とでも心の隅々まで理解し合うことはやはりできないのだろうか、もしできないとしたら、人はそれに耐えられるだろうか? さらには、そもそも本当にそういうことを知りたいのだろうか、(やたらめったら「死」について考えたがる学生のように)どこかで耳にした疑問を並べたてて、それを自らの「不安と孤独」の代わりにしているだけなのでは? といった、あまりにもたくさんの解決されることのない考えが押し寄せてきて、もう、手の施しようがなくなってしまう。

誰かのことを思ったり何かに向けて努力したりすることが、それ自体の素晴らしさのためにあるわけではなく、心が「不安と孤独」でいっぱいになってしまうこの時間を何よりも恐れるあまり、心を空っぽにする隙を作らないことが目的なのだとしたら、「人生は明るいものである」と考えることなんてとうていできない。「悲観的になることは間違っている」と心の底から思わせてくれるような、エネルギッシュで力強い励ましがほしい、といつも思っている。