「思う・口にする」の研究

人間には「思うことを口にして、それを人に聞いてもらいたい」という欲求がある。しかしその「思うこと」がつまらなかったりすると誰にも聞いてもらえないし、不快だと人を不快にさせるし、ダサいと人からダサいと思われる。だから人は思うことをなんでもかんでも口にするわけではない。

だからときとして、「思うこと」と「それを口にすること」との間には途方もなく長い長い距離がある。「何も喋らない人」は「何も思わない人」ではない。「思うこと」は止まない。その人にとって「思うこと」と「それを口にすること」との間には、物理的には頭から口までの距離なのかもしれないが、実際には、一人の人間を誰からもその存在が気付かれないくらい遠くの宇宙に放り投げてしまった、くらいの距離があるのである。

「思う・口にする」の研究は、すなわち「孤独」の研究である。思うことを口にしないよう我慢することは、孤独に耐えることと同じことである。しかし見方を変えれば、それは「秘密」の研究であるとも言える。口にされなかったことはすべて「秘密」となって、その人だけのものになるからだ。

「孤独」は楽しくない。でも「秘密」を持っているということは、ちょっと楽しいものである。少なくとも僕はそう思えるときがある。たくさん黙った末に手に入れることのできた「秘密」は、いつか誰かと(少ない誰かと)親密になるため最大限に利用されるのだ。

人は「秘密」を共有することで、誰かと親密になることができる。公的な空間(人がたくさんいる場所)では言えないようこと、見せないような一面(それが「秘密」)を、ごく限られた人にだけ明かし、その人と自分との周りを私的な空間に作り変えてしまうことによって、人は誰かと親密になることができるのだ。

誰かと深く結びつくためには、それだけたくさんの「秘密」を必要とする。思ったことを口にしないで黙れば黙るほど、それだけたくさんの「秘密」を抱えることになり、それだけ深くいつか誰かと仲良くなることができるのだ。したがって、「孤独」は確かに楽しいものではないかもしれないが、「秘密」を持っていることはちょっと楽しい。「秘密」はちょっといいものである。