2019年度のふりかえり

四月からは物理に明け暮れる日々を送ることになるだろうから、三月までに物理以外でやりたいこと(興味を持っていること)をできるだけたくさん済ませておきたい。それは主に本を読むことである。また、東京に出かけることである。

あることに強く心惹かれているのに、その全体像も分からないまま他のことに従事しなければいけない、というのは僕にとってかなり苦しい。僕は物理だけ、つくばだけで四年間を費やし、他のことを少しも知らないまま学生を終えてしまいたくはなかった! この一年、本を読んだり東京に出かけたりしたことで、それらについてくわしくなったとは全く言えない。しかし、僕が四月からつくばで本腰を入れて物理を数年学んだあと、必要であれば再び文学なり哲学なりにのめり込んだり、東京での楽しみを広げたりすることが容易にできるくらいには、それらについて知ることができたと思っている。

また、この一年間で僕は、少なからず明るくなることができた。未来に何の楽しみも待ち受けていないと感じているのにも関わらず苦しい努力を重ねなければならない現在ほど、この世界において絶望的なことはない! どうせ頑張っても楽しいことなんかないと思いながら大学に行くよりも、いま現在だけでもなんとか充実させようと決めた僕の判断は、賢明だったかどうかは分からないが、少なくとも「そうするしか他に方法がなかった」と言える選択ではあった。しかし今では、少なからず明るくなったことで、将来に対する期待を持つことが(いくぶん)できるようになり、朝起きて授業を受けてという単調な日々(おそらくそれなりに一人きりの日々)を耐えることができるくらいには前向きな人間になっていると思うのだ(あるいは思いたいだけなのか)。

人は、まさにその瞬間で自分が感じ考えていることを肯定できているとき、過去に自分のした選択をすべて悔いのないものとすることができる。僕はいま自分の内面について、ささやかではあるけれど満足している。だから自分のこれまでの二十年間を振り返ってみて、大きな間違いは何も犯さなかったと思うことができている。少なくとも、そう思おうと望めばそう思うことができるくらいに、僕はいま自由である。(この文章を書いているまさに今だけそういう気分に浸っているだけなのかもしれないが。)