分かり合えない領域

感情を認めつつ、それとうまくやっていくことは難しい。僕はたまに自分の感情でいっぱいいっぱいになってしまうので、そういうとき、誰からも干渉されたくないと思う。人に会いたくないし、ラインも見ない。我慢するため、ものを考えるために一人きりになる。誰の助言も慰めも無意味に思われ、むしろ煩わしさしか感じないだろう。

そして僕は、逆に、そういう人(自分の感情でいっぱいいっぱいになっており、ほとんど誰の好意も受け入れることができない状態にある人)を前にして、途方に暮れたこともある。それはそれで悲しいものである。今では僕は、そういう人を前にして、かつ、その人が求めるものをこちらが差し出すことはできないだろうと思うとき、無関心を装うようになった。

人と人との関係には、いつもこういったところがある。誰も悪い人はいないのだが(みんなそろいもそろって優しいのだが)、誰も自分以外の人間のこころの中心部分にたどり着くことはできないのだ。あるいは一時的にはできたとしても、長くは続かない。人との関わりの中で得られる癒しには限界がある。それより先は、ただ自分ひとりだけの領域である。

こういうことを考えながら僕は、布団の中に一人きりでいるときなど、全世界の人たちに向けて、心の中でひそかに励ましを送りたくなってみたりする。でもそれだけである。実際のところ僕は、人間関係にあまり期待ができないまま、冷たい態度(とまではいかなくても、取り付く島もないような態度)をあらゆる人に対して取ってしまうのだ。

「みんな僕と仲良くしてください」なんて、口が裂けても言うことはできない。助けを必要としているときもあるけど、全然平気なふりをするしかないわけである。ただ自分ひとりだけの領域で、誰にも気付かれないまま耐えていることしかできることはないのだ。しかもそれは、僕(やあなた)だけにではなく、ほとんどすべての人に多かれ少なかれ背負わされている重荷なのである。ここまで分かっていてもなお、どうすることもできない、分かり合えない領域があるのだ。