好きなのか・そこまで好きでないのか

そこまで好きではない異性に対して期待を持たせるようなことはできない。しかし、そもそも自分はその人のことが「好きなのか・そこまで好きではないのか」の判断すら容易ではない。そこに葛藤が生まれる。

「好きなのか・そこまで好きでないのか」の判断を後回しにして、とりあえず「好きである」として仲良くし(つまり自分の気持ちに嘘をつき)、途中から「やっぱりそこまで好きではなかった、やめた」とするわけにはいかない。相手を傷つけることになるし、しかもそんなことをくり返してしまうとしたらそれはちょっとまともではないと思うからだ。きっと何かがすり減るだろう。

だから僕としては「好きである・そこまで好きではない」のはざまに立って、その「はざま」の状態をそのまま相手に伝えるようなことをしたいのである。過不足なく、正直に。でもそれはものすごく神経を使う。(それに僕は自分の気持ちに嘘をつくやり方が分からないのだ。演技をしたり調子を合わせるといったことが。それから、仮に自分と相手どっちも嘘をついていたとしたら、そこに生まれるコミュニケーションほど虚しいものはないとも思う。)

そして何より、心の中の状態をそのまま相手に示しているわけだから、じっさいの自分が表に出ているわけである。だから相手からもし拒絶されたとしたら、それはじっさいに僕自身が拒絶されていることになる。よって簡単に傷つく。(一方、自分の気持ちに嘘をついてふるまうときは、それが拒絶されてもそこまで傷つかずに済む。その代わり、相手を勘違いさせ傷つけてしまうリスクが大きくなる。)

僕が理想としているのは「傷つかず・傷つけず」であるが(それは恋愛に限らずすべての人間関係に共通して)、それを頑なに守ろうとすると、結局人と関わらないほうがいいよね、ということになってしまいかねない。

どこらへんで折り合いをつけるのがよいだろう? ①どれくらい一人になって、どれくらい人と関わるべきか。②どれくらい自分が傷つかないために自分の気持ちに嘘をついてふるまい、相手が傷つかないために正直でいるか。(僕としてはできるだけ正直にやっていきたいものであるが。)

(最後にひとつだけ書いておくと、自分が傷つかないために自分の気持ちに嘘をついてオーバーにふるまうことをしているくせに、それによって傷ついた相手に対して「勘違いするほうが悪い」と言い張る人が世の中にはいる。「それが大人になることだ」と主張するつもりだろうか? そういう人はどうやって最終的に幸せになろうとしているのだろうか? 安住の地は見つかるのだろうか?)