政治や社会について怒りを持つ。しかし、それのために自分の生活を台無しにしたり、自分の脳みその中まで悲観的にさせる必要はないし、そうであってはいけない。もしそんなことになるとしたら、闘いながらすでに敗北していることと同じだ。何かを否定することは、それとは違うまったく新しい何か(自由を思わせる何か)を自らの中に築くためだけに許されることだ。最終的にはすべて、自分の中にある自由へと向かって(収束して)いかなければならない。反戦・反原発・反権力もすべて、内的自由を支える思想の一部でしかない、べきである。