むだなこと!(孤独)

例えば、あなたには仲良くなりたいと思っている人がいるとして、しかしその人もあなたに対して同じような気持ちを抱いているかどうか、分からないとする。(しかも、単に仲良くなりたいと思っているかだけではなく、「同じだけ」仲良くなりたいと思っているかまで問われることもある。)「相手も自分と同じような気持ちを抱いているとしたら!」と想像するとき、自分の思っていることをすべて打ち明けたい衝動にかられるし、そうでないとしたら、自分の思っていることをほんの少し打ち明けることでさえ(小さな意思表示なりサインなりでさえ)あまりにも恐ろしい行動であるように思えてくる。

互いに快く思い合っているとしたら、それを打ち明けないことほどもったいなくて、ぐずぐずしていることほどこの世界においてむだなことはない。しかし、そういうものなのである、ほとんどすべての人間関係におけるさまざまな思索は!(『灯台へ』という小説で描かれているような思索。)そういったもったいなさは、僕たちの周りに、つねに前提としてあるのである。そして孤独であるということは、そういったむだなことの積み重ねの結果なのである。これはもちろん誰が悪いわけでもない。

僕が人間関係に対して諦め、悲しむというとき、「誰と仲良くなっても楽しくなんかないだろう」ということを悲しんでいるわけではなくて、いま書いたようなこと(互いに快く思い合っているときでもそれを知ることができないということ)を主に悲しんでいるのである。僕がいつもあれこれ悩んでいることは、ときとしてこの世界でもっともむだなことであるかもしれないが、それは考えるに足らないことでは決してない。深刻なテーマになり得ることである。