与える対象

他人を愛することはできても、社会(組織されたもの)を愛することはできない。ひとりの人間が社会に「惜しみなく与える」ということは、その人の心と身体がゼロになるまで「奪われ続ける」ということを意味する。「搾取される」ということを意味する。そしてその「奪われたもの」は、全体の利益に還元されるわけではない。一部の権力ある存在(人なのか何なのか分からないけれど)が、僕がもっとも軽蔑しているものを大きくするために、それは使われる。

与える対象をよく見きわめなければいけない。そしてそれが一番難しいのだ。ものすごく賢くならなければ、どこに力を注ぐべきなのか分からなくなってしまう。なにを愛してなにを退けるべきなのか、間違えてしまう。僕は自分より大きなもののために自分を犠牲にしたりはしない。自分自身に対して、そして自分とおなじように「生身の」人間に対してのみ、力を尽くしたい。そのために僕は賢くならなければいけないし、力をつけなければいけないのだ。