エゴについて(再び)

「人と仲良くなりたい」という気持ちの何割かは、自分のエゴである。エゴとは、「なにかを欲しい」と思うことである。エゴは誰しもが持っているし、欲しいものを手に入れることはなにも悪いことではないと僕は信じている。僕は幸せにならなければいけない。

しかし、「人と仲良くなりたい」という気持ちの残り何割かは、「人を助けたい・楽しませたい」という利他的なものである。他人のエゴを感じるときも、その反対側にある(嫉妬とは切り離された)利他的な部分はすすんで認めなければいけない。また、自分のエゴの反対側にある利他的な部分もやはり認めてあげなければいけない。

そして、誰しもがそういう種類の葛藤を(多かれ少なかれ)しているのだ。「人を助けたい・楽しませたい」という利他的なものの割合を大きくしようと努力しているのだ。その点で、人は理解し合うことができるはずなのである。「僕たちはマインド・ゲームをしている 一緒にね/壁を押しのけたり 種を植えたりしている」云々。