人は誰でもたえず子どものように面倒を見てやらねばならない。誰かが僕に話しかけたりどこかに行こうと誘ってくれたりすることは、その人が僕を子どものようにかわいいと感じ、面倒を見なきゃと思うからそうするのであって、僕がその誘いを快く引き受けるのもやはり、僕がその人をかわいいと感じ、面倒を見なきゃと思う気持ちから来ていたりするのである。それはなんだか相手を子ども扱いしているみたいで侮辱的だと言う人がいるけれど、全くもってそんなことはなくて、人は誰でもかわいいし、僕がかわいいのと同じようにすべての人は子どもみたいにかわいいのだから、面倒を見なきゃならないし、面倒を見られなきゃならないのだ。もちろんこの表現にはかなりの誇張が含まれているのだけど、そうやって「かわいい子どもの面倒を見なきゃ」という相互の気持ちによってのみ、ようやく平和がおとずれるのである。家族でも恋人でも友人でもまったく知らない人どうしでも、いつもそういう気持ちによって支えられていなければならないのである。