母親

家族のなかで母親がヒステリックになっているのであれば、それに気づいた人は、母親を力のおよぶ限りに愛さなくてはならない。理屈もこちらからの要求もすべて、たくさんの情愛とともに伝えなければならない。こちらからの要求を通すために情愛をもちいるのではなく、ちゃんとした情愛をなによりも先に示さなくてはならない(抱いていなければどうしようもない)。寂しさはいろんな負の感情(怒りや憎しみ)となって表に出るものだ。僕もそういうことの経験があるし、それは誰しも同じである。間違っても「母親自身に問題がある」だなんて考えてはいけない。あるいは「父親は優しいけれど、母親とは仲良くできそうもない」だなんて思ってはいけない。僕たちは(あるいは社会は)これまで、母親からあまりにもたくさんのことを求めていて、彼女たちは「もう与えるものがない(まるで足りない)」というところまで、与え尽くしてしまうのである。どちらが正しいことを言っているとか、そういう問題ではないのだ。理屈ではないのだ。僕たちはそういう世の中の仕組みを何よりもまず知らなくてはならない。「誰ひとり寂しくないこと」を目指さなくてはならない。