利他的・利己的(愛する・愛される)

「利己的である」とは(僕がいま考えているかぎりでは)、他者から「愛されよう」「与えられよう」「理解されよう」とする態度のことであり、さらにいえば「(自己が)愛されるためにしか(他者を)愛さない」「与えられるためにしか与えない」「理解されるためにしか理解しない」態度のことである。

反対に「利他的である」とは、「(自己が)愛されるより先に(他者を)愛する」「与えられるより先に与える」「理解されるより先に理解する」態度のことである。真に「利他的な」人は、他者からの見返りを一切必要としない。そのため「利他的な」人は、自分が誰かにしてあげたことの見返りがなかったとしても、まったく傷つくことがない。そして「嫉妬」という感情を持たない。

ひとりの人間が「利他的である」ためには、努力が必要である以上に、その人がこれまでどれくらい他者から「愛され」「与えられ」「理解され」てきたかどうかに依るところが大きい。そのため、ある人が「利己的である」からといって、その人を責めることは一切できない(叱ることはできるかも)自分がそのとき「利他的である」ならば、その人を責めるのではなく、「愛し」「与え」「理解し」ようとしなればならない。自分がそこまで「利他的」ではない場合には、その人との関係を切ってしまうしかないだろう。その場合もおなじように、それが理由で自分自身を責めることはできない。

世の中を良くする(「利他的な」人の数を増やす)ために何かできるのは「利他的な」人だけである。より正確には(人は誰しも「利己的である」か「利他的である」かのどちらかではなくその間のどこかの地点にいるのだ、ということを踏まえると)、より「利他的な」人が、自分よりも「利己的な」人のことを「愛し」「与え」「理解し」ようとすることでしか、世の中を良くすることはできない、と言うことができる。