原因と結果・良いと悪い

僕がいま感じていることや考えていることは、僕が感じたくて感じている、考えたくて考えているのでは決してなく、ただあらゆる原因が複雑にからみ合い、僕の意思とは関係なく感じさせられている、考えさせられているにすぎない。だから僕の感じることや考えることが「悪い」からといって、それは僕の責任ではないか、あるいは「もともとある罪」でしかない。僕はこの「もともとある罪」のために謝罪しなければならないのだ。

とある人間の人格が「悪い」からといって、その人自身を責めることは到底できない。なぜならその人の人格形成にその人自身はいっさい関与していないからである。だからその人と仲良くしないという選択は、ただひたすら自分自身の欲求(仲良くしたくない)のみに委ねられているのだ。すべての人と分け隔てなく仲良くできないことについて、僕は心のなかでつねに謝罪し、許しをこい続けなければならないのである。

どんな結果にも原因があって、その原因の前にもやはり原因があるのだ。そうやって原因をたどっていくと、まだ誰も生まれていない時代にすべての原因を見ることができる。僕たちがすべき唯一のことは、何かが「良く」なるための原因をつくりだすことであって、「悪い」ものを批判することではないのである。誰も誰かの裁判官になることはできない(資格などない)し、自分自身の裁判官になることすらできないのである。