恋人がいても、恋人以外の人と仲良くできなかったら、恋人ともいずれ仲良くできなくなるし、それは言い換えれば、「恋人がいようがいまいがどっちでもいい」といった状態でこそ、もっとも恋人と親密になることができるということであって……

僕はかつてそういう考えを疑っていたし、今でも「どういった身の振り方をすればちょうどいいかなあ」と模索しながら動いているのだけど、とりあえず理屈としては「すべての人がすべての人と仲が良い」状態(「隣人愛」に満ちあふれた状態)がもっとも理想的なのである。

「放蕩の限りを尽くす」状態と「すべての人がすべての人と仲が良い」状態は、一見すると似ているように思えるときがあるが、じっさいはまったく異なっているどころか、まったく正反対であるといえる。

愛には「欲求としての愛」と「隣人愛」の二種類があって、僕たちは「隣人愛」が大きくなるための努力をみんなでしなければならないのだ。そのための身の振り方を覚えなければならないのだ。(その中には「他人とどうやって仲良くなればいいだろう?」という問題が含まれている。僕はまだ上手にできないのですが……)