誰も悪くない

僕が何よりも先に信じている考えは「誰も悪くない」というものである。どんなに凶悪な犯罪者も、独裁者も、その人自身が悪いわけでは決してない。何かに失敗した人も、その人の自業自得で失敗したのではない(「自己責任」なんて存在しない)。どんな結果にも原因があって、その原因にもやはり原因があって、原因から結果へと絶え間なく(どうしようもなく)物事は進んでいくだけなのだから、この世に悪い人など一人もいないのである。

ものすごく過激なことを書いていると自覚しているから、声を大にしては言わないのだけど。それでもなお、僕はこの考え(「誰も悪くない」)からすべてを始めるべきであると強く思うのだ。そうでなければ世の中は良くならないし、世の中が良くならなければ、自分が良くなることもない。

だから優しくない人に対しては、その人が優しくなってくれるまで、優しくし続けるしか方法はないのだ。優しくない人に冷たくすると、その人はますます優しくなくなって、誰かを傷つけるためによそへ行くだろう。あるいは優しくない人を仲間外れにするといつか、優しくされなかった人たちが徒党を組んで、すべてをぶち壊してしまうだろう。報復主義によって生まれるのは戦争だけなのである。

このような考えを抱いてもなお、しっかりと生きていくのはものすごく辛いことである。はっきり言って、死ぬほど辛いことであると僕は思う。泣きたくなるほどである。自分の中にある負の感情と、上に書いたような理屈(「誰も悪くない」)とを戦わせ、そのふたつに押しつぶされそうになる瞬間が、これから何度もやってくるだろう。でも僕の中にも優しくない部分はたくさんあるし、それを優しい人たちに許してもらうためにも、僕は人の優しくない部分をすすんで許し、自分にできる限りのことをしなければならないのだ。

そういう世の中の仕組みに気づいてしまった人は、辛いけれど、それが自分のやるべきことと信じて、自分を捧げなければならないのである。どこまでも賢くなって、どこまでも優しくなって。賢さが足りなくて、「優しいことをしているつもりが、本当は自分を押しつけているだけだった」ということもあるけれど、そういうときもやはり、優しい人たちが僕を許してくれるだろう。そうすれば僕はさらに賢く、さらに優しくなることができるのだ。何かが良くなるとしたら、そういう道のりでしかあり得ないのである。