たとえ自分が幸せであったとしても、この世に不幸な人が一人でもいる限り、僕は自分の幸せを申し訳なく思わなければならないし、その幸せを享受することを恥じなくてはならないし、その幸せを公の場所で見せびらかしたりはせず、自分の生活を隠さなければならない。

自分が自分であって、他の誰でもない(ガンジーでもヒトラーでもない)ということは、僕が決めたことではない。ただのくじ引きでしかない。僕が幸せになるか不幸になるかもすべて、僕が決めることではない。僕が「幸せくじ」を引いたとして、隣の人が「不幸くじ」を引いたとして、僕はその人に「幸せくじ」を譲るようなまねはしないだろう。僕はその幸せを赤面しながら享受するだろう。自分が「幸せくじ」を引いたことをその場で喜んだりはせず、家に帰ってから喜ぶだろう。

公の場所で楽しそうにしていたほうが、みんなも楽しい気持ちになるというのは間違いない。それは自分の幸せを分け与えるようなものだ。