僕が心の中でひそかに誰かを軽蔑するとき、その軽蔑は何かしらの形で必ず僕の態度に現れたに違いなく、そしてその軽蔑からくる冷たい態度というものが、その人を苦しめ、その人自身では解決しようもない立場にまで追い込むようなことがあっただろう。それなのに僕は、そういった自分の罪にまったく気付かず、苦しい気持ちでじたばたもがくその人を、さらに軽蔑しさえしたものである(こういったことと同じことが、まったく当然のこととして、至るところで行われているのだ。以前までの僕と同じように、多くの人はそのことに自覚的ではない。人間が、他の人間の良し悪しを高みから判断し、この人は尊敬に値するけどこの人は軽蔑してもいい、なんて決める資格を持っているだろうか?)。

そして、僕はかつて人間そのものを軽蔑し、あらゆる人の行動を疑いの目で見、近づいてくる人を冷たい態度で遠ざけていたから、あらゆる人間に対して罪があると言って差し支えないほど、僕は罪深い人間である(そのことを分かっているのにも関わらず、今でもまだ人を軽蔑したり、批判したくなったりするくらいだから、まったくどうしようもない人間ですらある。でも、少しずつ向上してはいる)。

以上の理由から言っても、僕はこれまでの行いを悔いて、これからは会う人すべてに優しくしなければいけないし、どんな人のことも大切にしなければいけない。感謝と懺悔の気持ちを抱きながら、すべての人間に対して心の中でひそかに忠誠を誓い、他者に奉仕しなければいけない。それを自らの生涯の仕事として、日々精進しなければいけないのだ(それに僕には、それ以外に自分の仕事にしたいと思えるものが、何一つ見つからないのである)。

大げさに思われるかもしれないし、実際、少し大げさに書きすぎた感がある。大体こういった決意を、一生を通して抱き続けることが本当にできるのか? それは、はっきり言って僕にも分からない。もしかしたら、この文章を書いたことを忘れてしまう日がやって来るかもしれない(そうでないことを願っているのだが)。でも少なくともいまは、この文章に書いたことを、何のごまかしもなく信じているのである。