他人の苦悩の程度を軽く見積もってしまうことが問題なのである。いつも自分が見下している、あるいは軽蔑している人間が、実際はものすごい傷を抱えており、家で人知れず頭を抱えているらしい、ということを知ったら? その人は、おそらく自分にはとうてい理解もできないほど大きな苦悩を持った、不幸な人間なのだということが、後になって判明したら? もしそんなことになったら、僕たちはこれまでの自分の行いや考え方について、またそれを恥ずかしげもなく周囲に見せびらかしていたことについて、そして自分は恵まれているのだということについて、赤面しなくてはならなくなるだろう。そして、猛省しなくてはならなくなるだろう。今後いっさい、他人の欠点について、鬼の首を取ったようにべらべら喋るなんて資格は自分にはないのだということが、痛いほど分かるだろう。他人の苦悩の大きさを知ることはできないし、地上にどれだけたくさんの不幸があるのか、見ることはできない。もしかしたら、もういっさい黙ってしまって、道徳的に気をつけの姿勢をとっていなければならないほどなのかもしれないのだ(もちろんそんなことは度が過ぎているのだが、しかし……)。

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