打ちひしがれていて、気が遠くなるほど神経が衰弱している、というときがある。それでもバイトなり何なりで外出しなければいけないときは、まるで自分の葬式にでも出かけるみたいな(これは自分で考えた比喩ではないのだが)顔で、自転車をこいだり、あるいは電車に乗ったりする。その最中も、どうにかして、散り散りになってしまいそうな精神をまとめ上げる努力をする。ときには、実際には思ってもいない侮辱を自分に浴びせてみたりして、むりやり憂鬱を晴らそうとする(僕みたいな人間は死んでしまった方がいい、とか、それと似たようなことを)。そして、心の中であれこれ自問する。——どうすればいいだろう、神聖なものを思い浮かべることに何の意味があるだろう? たとえば、自分の中には欲望があって、好奇心があって、一度きりの人生を他の誰よりも素晴らしいものにしてやるのだ、といった愚かな衝動があって、とにかく、もう何だか対処のしようがないくらいに分裂してしまっている。そもそもそんなことが問題になっているのだろうか? それすらもよく分からない……そういう感じのときがあるのだ。

 しかし、最終的にはいつも次のように自分に言い聞かせ、気持ちを立ち直らせている。——自分のことについて考える必要はない、それは誰かが代わりにやってくれるだろう。自分のことについて考える必要はない、自分以外のことについてだけ考えればいいのだ。やらなければならないことはずいぶんある……「このロシアの国では、やらなければならないことはずいぶんあるよ! 私の言うことを信じてくれたまえ。私たちがかつてモスクワでよく顔をあわせて話しこんだことを、思いだしてくれたまえ……それに、私は今度こちらへ帰ってこようなんて気はまったくなかったんだよ! いや、こんなふうにしてきみに会おうなんて、まったく、まったく思いもよらなかったよ! でも、しようがないさ!……それじゃ、さようなら! ごきげんよう!」(なんてかわいい人なんだろう、このムイシュキン公爵という人は! この人の率直さといったら、もう、すさまじいくらいである! それはそうと、この文章がこんな終わり方をしてしまったことに、僕自身とてもびっくりしている。文章としてまるでなっていないが、もう何でもよくなってしまった)。

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