考えるとは、「少しのことを与えられ、そこから多くのことを理解しよう」とする営みのことである、あるいは、「多くのことを与えられ、それらを説明する少しのことを見つけよう」とする営みのことである。そしてもし「一つのことを与えられ、そこからこの世のすべてを理解する」ことができてしまうような、その「一つのこと」というのが存在するのであれば、それがまさしく真理であり、神であり、最初の光といったところだろう。もちろん、そんなものはこの世のものではなく、あの世のものである(ここにきてかなり神秘主義的な文章を書いてしまった)。

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