神秘的なことばかり書いているけれど、現実的なことについても述べておきたい。だけどそれは、きれいごとではないどころか、どこまでも過酷なものであるかもしれない。現実というものはときどき、どこまでも過酷なものであるから。

 さて、僕の考える現実とはこうである。——人が自分のために行う努力は、そのすべてが、どういうわけか、まったくもって意味のないもの(せいぜい「薄汚れた幸福」くらいのもの)にしかならないということ、これである。不幸におちいっている人が、自分自身の力によって自分を助けることは、まったく不可能なのである。したがって、助けてくれる人がいなければ、その人は、決して不幸から脱することができない。もし仮に、表向き、自分の力で脱することができたように見えても、精神的にはまったく不幸のままなのである。

 ある人の生き死にを決めるのは、その人自身ではなく、その人をのぞく全人類である。反対に僕たちは、一人ひとりが、自分をのぞく全人類の命綱を、少しずつ握っているのである。何かに向けて努力するとき、それが他者のためにではなく、自分のためになされたものであったなら、その努力は、誰にも何ものももたらすことがない。

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