僕はかつて平気で人を傷つけ、どういうわけか、それを当然の権利であると考えていた。いま僕は切実に善い人間でありたいと望んでいるし、いくらかはすでにそうであると信じたいけれど、もし、かつて傷つけた人にたまたま街中で会ったりしようものなら、僕は後ろめたさのあまり逃げ出してしまうかもしれない。どのくらいの謝罪をし、どのくらいの埋め合わせをしたら許してもらえるか分からず、それが怖いのである。それなのにこの場合、どちらかと言えば怖がっているのは僕ではなく(そんなことがあってはならないのだけど、おそらく)相手の方がもっと僕を怖がっているのかもしれないのだ。これほどの卑劣さはもはやあり得ないと思うが、事実、そのように僕が仕向けたのだし、そういった行いが当然であると考えていた過去の自分が恥ずかしい、そしてときには、痛ましくをさえ思う。

 他の人はどうか知らないし、そのままでいてくれてまったく構わないが、僕だけは(この自分だけは!)どんな人も傷つけることのないよう、可能なかぎり細心の注意をはらい、一秒一秒を生きていかなければならない。他人の良し悪しについての自分の意見を信じず、こんなやつはどう思おうがかまわない、とささやく声には耳を傾けないようにして。もちろん、そういった穏やかな心持ちにも限界はあるし、また、どんなに気をつけていても、知らず知らずのうちに人を傷つけてしまうということもある。しかし、だからこそ、僕は謙虚さを捨てないようにしようと思えるのだし、ときには反省的になることもできるのだ。そして、まさにそういったことの積み重ねによって、僕という人間が向上していくのである。このような考えに至ったいま、迷うことなくこの道を進むつもりである。

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