言葉ではどうとでも言えてしまうものだ。言葉を使えば、どんなに空疎なことでも、醜悪なことでも、それらしく言えてしまうものである。見当ちがいなことを延々とくり返して、人を迷い込ませることもできるし、自分という存在を、何かの権威であるかのように、周囲に思い込ませることもできる。混沌としたものに美しいラベルを貼って、売り歩くことができる。どこまでも賢く、偉大であるにも関わらず、そういったことのために言葉を費やした哲学者が、これまでにも少なからずいたのである。そういった人たちが、どれくらい自分のそうした性質を理解していたのか、それは分からない。まったく理解せず、意図せず、そのようになったのかもしれない。また、この僕自身、そういった傾向をまったく持っていないなどと、断言できるとも思わない。

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