これでやっと誰に対しても気を遣わなくてすむ。一人になって、わたし自身に戻れる。そしてそれは、最近しばしば彼女がその必要を感じることだった——考えること、いや考えることでさえなく、ただ黙って一人になること。すると日頃の自分のあり方や行動、きらきら輝き、響き合いながら広がっていたすべてのものが、ゆっくり姿を消していく。やがて厳かな感じとともに、自分が本来の自分に帰っていくような、他人には見えない楔形をした暗闇(ダークネス)の芯になるような、そんな気がする。(…)そこには自由があり平穏さがあって、さらに歓迎すべきことに、何かすべてを一つにまとめあげる力、安心感に支えられたくつろぎにも似た気分が感じられた。わたしの体験では(ここで夫人は編針を器用に動かした)、黒い楔形にならず普段の自分でいる限り、安らぎなどは見出しようがない。日頃の自分を脱ぎ捨ててこそ、苛立ち、焦り、心の動揺などがかき消えていく。そしてこの平穏さ、この休息、この永遠の時間のただ中で、さまざまの事が一つに重なり合うとき、夫人の口許には、われ知らず、人生に対する勝利を謳う声が浮かんでくるのだった。それから気持ちを落ち着かせ、灯台の光、あの三度目に放たれる長くしっかりとした光の一投(ストローク)を迎え入れるべく、静かに目を上げた。あれはわたしの光だ。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』)

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