人の行ないを赦す(なかったことにする)ことができるのは、その人の抱える苦悩を知るか、想像するかできる場合においてである。その人の抱える苦悩に頭を下げ、苦悩に免じて赦すのである。しかしそういった苦悩の多くは、悲しいことに、それを抱える本人にしか分からないため、僕たちはいついかなるときも人を赦せるというわけではない。これがたとえば、他者の経験および思考過程をそっくりそのまま自分の脳みそに移植できるとしたら、僕たちは、どんな人のどんな行ないをも積極的に赦したがるだろうし、さらには、自分の不寛容さと恵まれていることの方をむしろ責めるようになるのだろうが。

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