そのとたん、私はすっかりうろたえて、度を失ってしまったが、それでも私たちは馬車に乗るために外へ出た。「ちょっと待ってくれないか」と私は彼に言った。「すぐ戻るよ、財布を忘れたんだ」そう言って私は一人で家にとって返すと、まっすぐアファナーシイの部屋へ入って行った。「アファナーシイ、ぼくはきのうおまえの顔を二度も殴った、どうかぼくを赦してくれ」私が言うと、彼は、おびえきったようにびくりと身震いして、私の顔を見つめている。私はこれではまだまだ足りないと見てとると、いきなり、肩章のついた軍服を着たままで、彼の足もとにがばと身を投げ、額を床にこすりつけ、「ぼくを赦してくれ!」と言った。これにはさすがに彼も茫然となって、「中尉殿、旦那さま、いったいこれは……勿体のうございます……」そう言うと、ふいに自分も、さきほど私がしたように、両手で顔を覆っておいおい泣きだしてしまった。そして、つと窓のほうに顔をそむけると、あふれる涙にはげしく全身をうち震わせた。一方、私は同僚のもとへ駆け戻り、馬車に飛び乗ると、「やってくれ」と叫んだ。そして、「どうだ、勝利者を見たかい、きみの前にいるのがその勝利者だぜ!」と言ってやった。
(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)

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