人間がじぶんに話しかけるというのはたしかなことである。およそ考える存在にして、そのことを体験しなかった者はいない。いや、こうだとさえ言える。言葉は、ある人間の内部で思考から良心に向かい、良心から思考にもどるときにしか、壮大な神秘にならないのだと。(…)ひとはじぶんに言い、じぶんに話し、じぶんのなかで声をあげるが、だからといって、外部の沈黙が破られるわけではない。そこにはたいへんな喧噪があり、わたしたちのなかでは口以外のすべてが話すのだ。魂の現実は、見ることもふれることもできないが、だからといって現実であることに変わりはないのである。
(ヴィクトール・ユゴー『レ・ミゼラブル』)

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